弦友会は神戸大学マンドリンクラブ(KUMC)のOB・OG会です。1915年(大正4年)に山中直一氏がマンドリンを神戸大学マンドリンクラブの前身となる神戸高等商業学校音楽部に持み、結成されました。
2015年(平成27年)には創立100周年を迎えています。OB・OGの数は1,000名以上、定期演奏会も65回を超えました。
KUMC誕生
1915年(大正4)…山中直一氏がマンドリンを神戸大学マンドリンクラブの前身となる神戸高等商業学校音楽部に持ち込む。
1931年(昭和6)…第1回定期演奏会が神戸YMCAにて開催される。
1933年(昭和8)…京阪神のみならず、東京や名古屋の大学とも合同演奏会を開催。東西交流が活発化する。
戦争の時代
1941年(昭和16)…太平洋戦争勃発。このころはまだ選曲や演奏面において、外部からの干渉による影響は少なかった。
1942年(昭和17)…時代を反映して、演奏会の際には日章旗を飾る・君が代や愛国行進曲を演奏する・戦士慰問や建艦献金募集の為の演奏を行うといった活動を行う。
1945年(昭和20)…太平洋戦争終結。
戦後
1947年(昭和22)…神戸経済大学マンドリンクラブとして再発足。
1949年(昭和24)…戦後第1回定期演奏会が開催される。なおこの年、近隣の姫路高等学校・神戸工業専門学校・兵庫師範学校・兵庫青年師範学校を併合し、新制「神戸大学」が誕生する。
古典ギター部の時代
1955年(昭和30)…新制に伴う校舎分散により部員の集合率が低下。マンドリンクラブの活動が衰退、クラシックギターのみを取り扱う古典ギター部になる。
1958年(昭和33)…古典ギターは、ソロが多く上達に時間がかかることから、マンドリンクラブへの転向を決める。
マンドリンクラブ復活
1959年(昭和34)月村嘉孝・松田二郎両氏の支援により、マンドリンクラブが復活。
1960年(昭和35)…マンドリンクラブ第5回(復活第1回)定期演奏会が開催される。
1963年(昭和38)…マンドリンクラブの最大部員数171名を記録。合宿・面弾・師弟制度・オアシス発刊・部旗作成など、現在のKUMCの基盤となる多くの活動が整えられる。日本全国からマンドリン奏者を集めて行われたアメリカ演奏旅行に、神戸大学マンドリンクラブの部員が一名参加。OBOG組織として弦友会が発足する。
学園紛争
1968年(昭和43)…学園紛争の影響により、翌年に計画されていた石川県金沢市での演奏会を中止することを決定。
1969年(昭和44)…5か月にわたって六甲台本館が封鎖される。翌年春の地方演奏会中止を決定。
1970年(昭和45)…学生運動のさなか神マン、定期演奏会を開催。
1971年(昭和46)…松山演奏会・春の定期演奏会を開催。
1972年(昭和47)…第17回定期演奏会にて、初の邦人委嘱作品「北設楽民謡”せしょ”」を演奏。
以降、邦人作曲家の作品を数多く初演。1981(昭和56)年の東京演奏会では「グランド・シャコンヌ」を発表する。
1983年(昭和58)…弦友会規約が発行される。
震災と復興の時代
1995年(平成7)1月17日…阪神淡路大震災が発生。現役部員2名が犠牲となり、その他大けがや下宿先・楽器を失うなどの大きな被害を受けた。こうした状況を受けて、3月に予定されていた大阪での演奏会は中止となる。
3月21日…震災後初めて部員が集合。部内演奏会が開かれる。
12月23日…神戸文化ホールで定期演奏会を開催。
2011年(平成23)第1回神戸大学マンドリンクラブの「つどい」を開催。
2015年(平成27)…KUMC創立100周年を迎える。100周年記念公演を開催、記念誌が発行される。
2016年(平成28)…弦友会in TOKYOを神戸大学東京六甲クラブにて開催。
コロナ禍の中で
2020年(令和2)…世界に拡がったコロナ禍はKUMCの活動にも大きな影響を及ぼした。第65回定演を初の無観客、動画配信という形で開催した。
そして新しい100年へ