神戸大学マンドリンクラブは2015年に創部100周年を迎えました。それを記念し、創部100周年記念誌を作成しております。
・神戸大学マンドリンクラブ100th Anniversary 記念誌
・2015年8月1日発行
・国立国会図書館本館に蔵書(閲覧請求番号:KD268-L54)
ここではその一部を公開いたします。
弦友会会員の皆様には、折々にお手元の記念誌を手にとってご覧いただけましたら幸いです。
14回生 長嶋 弘之
マンドリンアンサンブル<楽楽・神戸>とはなんぞや?
かなり年配の弦友会員とその家族で構成されるマンドリン楽団で、その名のとおり神戸を中心に活動しており、発足から満20年を迎えます。当初20名そこそこの人数でスタートしましたが、定年後の楽しみ、生きがいを求めてか、類が友を呼び、今では50名を超えるメンバーが月2回の練習と年に2回の合 宿(!)を楽しんでいます。
KUMCの回生で言うと、9回生から25回生まで16年の年齢幅があり、現在会員の平均年齢は60代後半です。年齢に関係なく、多くの弦友会員が各地の楽団で活躍していますが、平均年齢の高さと会員 数の多さではどこにも負けないと自負しています。
そんな楽団がなんで20年ほど前にこの神戸で立ち上がったのか。
20年前の神戸と言えば、そう阪神済路大震災です。KUMCの100年の歴史の中でも最大の試練の時と言えば、あの戦争と大震災ではないでしょうか。
1月17日早朝の直下型地震(最大震度は実に7!)で、壊滅的な打撃を受けた神戸の街ですが、その年の夏頃から少しずつ復興の動きが本格化していきました。それに伴って、音楽どころではなかった私達の気特ちにも、ちょっと「ゆとり」が戻ってきたように思います。
卒業後も、同期や前後の先輩、後輩も巻き込んで、正月など折に触れて集まる機会が多かったのですが、震災の翌年の正月にも新年会を催しました。その席で、「合奏を楽しんで元気を出そうよ」という話がまとまり、さっそく一人の会員の小さな事務所に10人ほどが集まって合奏をはじめました。ほとんど全員、長いブランクを経て久しぶりに楽器にさわる、という状態で、まともな合奏にはならなかったのですが、しゃべりや飲食を共にするのとはちょっと違う、音楽を通してのなんとも言えない喜びを得ることはできたのです。そして、この楽しみをなんとか続けるようにしよう、とみんなの気持ちがまとまり、現在の<楽楽・神戸>につながる動きがスタートしました。
そんなスタートですから、上手に弾こうとか、難曲に挑戦しようとかそんな気持ちは毛頭無くて(あったとしても、到底無理な私達のレベルでしたが)、大学時代からの仲間と再び合奏ができる喜びこそが、 私達の求めるすべてだったのです。この原点での「特別な思い」が、他の多くの楽団とはちょっと違う、<楽楽・神戸>の性格を形づくっているのかもしれません。
<楽楽・神戸>の活動が20年に渡って続いているのには、そうやって合奏を再開した年の秋に、一人の会員の会社の研修・保養施設をお借りして開始した「合宿」が大きな役割を果たしました。現役の頃の夏合宿は、どの回生、学年の方にとってもすばらしく楽しい思い出として残っていると思います。そんな合宿を平均年齢50歳前後になって再び楽しめる、しかも現役の頃と比べて練習時間は半分、食事と宴会の時間は倍なのです。そして宴会のあとは、歌あり踊りあり、たまには真面目な独奏やアンサンブルありの「オアシス・タイム」が続きます。
合宿の場所は、今では我々の年代にふさわしい、「しあわせの村」に変わりましたが、最初の合宿にすばらしい場を提供してくれたのもKUMCの仲間、神戸近辺での訪問演奏の「助っ人」として神戸近辺の我々に呼びかけて、合宿のきっかけを作ってくれたのも横浜在住のKUMCの仲間です。
合奏棟習を続けるうちに、子や孫、友人たちに私たちの活動を知ってもらいたい、という思いがつのり、2004年12月に無謀にも自前のコンサートを開催。「うはらホール」を満席にしたことが自信(「演奏の」、ではなく「集客力の」)となり、その後2年に1回のコンサート開催が定例になりました。
考えてみれば、KUMC100年の歴史の中で、私たちの年代はそのほぼ半分をマンドリン音楽と共に過ごしてきたことになります。
音楽の楽しみ、合奏の喜びを、できるだけ長く続けたい。 しかし、あと何年元気で続けられるのだろうか。そんなこと心配してもしょうがない、いけるところまで頑張ろう、というのが今の私たらの正直な心境です。